森で迷ってリュージュに転向 

  現在42歳のデムチェンコは、リュージュを始めた理由について、出身地である旧ペルミ州チュソヴォイ町にはアルペンスキー、クロスカントリー、リュージュの3種類のスポーツしかなかったためと話す。アルペンスキーを始めようとした時はすでに9歳になっており、5~7歳という年齢条件には合わなかった。クロスカントリーを試してみたが、ある時森で迷い、数時間後にようやく戻ることができたという。「それ以降、森で遠くには行かなくなったし、クロスカントリーで長い距離を走らなくなった」

 そこで始めたのがリュージュ。同級生の半数がリュージュ部に登録していたため。ドイツのヴィンターベルクで行われたリュージュの世界大会ジュニア部門で、銀メダルを獲得したことが、起点となった。1990年に19歳でシニア代表に選出され、その2年後、アルベールビル冬季五輪に出場。この初めての五輪では、表彰台の上に上がることはできず、8位に終わった。次のリレハンメル冬季五輪では9位。

 

激動の90年代を乗り越える 

 ソ連崩壊後の激動の時代、スポーツをとりまく環境は厳しかった。ロシア・リュージュ連盟のヴァレリー・シラコフ副理事はこう話す。

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 「アリベルトには脱帽だよ。リュージュだけでなく、国にとってもっとも困難だった1990年代を乗り越えたんだから。当時は資金援助なんてほとんどなかったし、食べるものさえままならないこともあった。これを我慢し、スポーツを続けたのはアリベルトだけ。2人乗りでアリベルトと組んでいたアレクセイ・ゼレンスキーも、引退を余儀なくされた」

 デムチェンコ自身も、この時代の苦労を語っている。コルホーズの市場で豚肉を売ったり、運転手として働いたり、荷役をしたり。働きながら練習を続け、1996年のヨーロッパ選手権1人乗りで銀メダル、2人乗りで銅メダルを獲得。その後1998年に、1人乗りに集中することを決定した。

 

大器晩成 

 活躍が目立ち始めたのは2000年代半ば。2004~2005年シーズンにはワールドカップで優勝し、2006年トリノ冬季五輪では銀メダルを獲得。ただし、デムチェンコはトリノ行きを危うく逃すところだった。盲腸の手術後、気管チューブが抜かれるはずだったが、これが忘れられていたのだ。摘出手術の傷は今でもよく見える。

 トリノの銀メダルはセンセーショナルだった。有名なイタリアのライバル、アルミン・ツェゲラーに、わずか0.029秒差で負けた。「真の情熱が目覚めた!バンクーバーはどうなるかな!」とその時語っている。

 2010年バンクーバー冬季五輪にはメダル有力候補としてのぞんだが、残念ながら結果はでなかった。ここでは客観的要因も影響。グルジアのリュージュの選手が練習中に事故死したことから、コースが短くなった。結局4位に終わったが、この時銅メダルを獲得したのはツェゲラーだった。

 「バンクーバーに行く前に、現役を続けることを決めた。自国開催の五輪に出場したいからね。しっかりと準備をして、メダルを狙えるって気がするんだ」と、バンクーバー五輪後のあるインタビューで答えている。その後の結果がこれを証明している。ドイツ・アルテンベルクで2012年に行われた世界選手権では、銀メダルを2個獲得。

 

 ただ、今シーズンの滑りだしは最高とは言えない。大会では表彰台から遠く離れていた。シラコフ副理事はこう話す。「すべての準備はソチ五輪での成功に向けられている。ワールドカップでは問題ない滑りを見せた。シーズン初めの7位と10位は普通の結果。練習強化は必要なかったが、ソチの最終選考の期間、アリベルトはソリを調整していた」

 

「マルシア」の技術者がソリ製作に参加 

 ところで、デムチェンコの今シーズンのソリはちょっと違う。ソリの製作には「フォーミュラ1」に参戦している「マルシア」の職工が参加。これらの職工は、空気力学やその他の重要な部分で経験を積んでいる強者たちだ。

 デムチェンコの問題について、ロシア代表のヴァリテル・プライクネル主任コーチは、スタートの調整が完全ではないことを指摘している。「途中の滑りでは間違いなくトップ。技術、経験、コースについての知識で、デムチェンコに勝るロシア代表選手はいない。だが、デムチェンコはスタートでもっと速くなれるように練習しなければならない。ソチの競争は相当厳しい」

 デムチェンコはソチのメダル候補だ。ライバルのツェゲラーは、ソチのリュージュのコースがデムチェンコの重い体重に合わせてつくられていると、遠回しに言っている。だが、バンクーバー五輪で金メダルを獲得したドイツのフェリックス・ロッホは、身体的なデータでデムチェンコと変わらない。やはり競争は厳しいのだ。

 デムチェンコはこれまでの五輪について、こう話している。「自分が出場する競技の雰囲気を感じ取ることはできるが、まわりのことはよくわからない。自分の競技場があって、そこで競技して、ホテルに戻って、荷造りをして、翌日朝6時にバスに乗せられて、朝8時に帰国するだけ」。地元開催の今回の五輪では、こうはならないだろう。