
イリヤ・ピータレフ撮影/ロシア撮影
バンクーバーの金メダリスト
ニキータ・クリュコフは、2010年のバンクーバー五輪の個人スプリントの金メダリストであるばかりでなく、2013年にはロシアの最優秀スポーツ選手の称号を手にしている。その称号は、全国放送のテレビ局「ロシア2」の視聴者を対象にしたリサーチの結果、同選手に授けられた。昨シーズン、クリュコフは、イタリアのヴァル・ディ・フィエンメでのスプリントの世界選手権において個人クラシカルと団体フリーで優勝した。
クリュコフは、このところクラシカル専門から万能型の選手へと成長しつつあり、スケーティング走法のフリーでも好成績を残しているので、バンクーバー五輪と比べてオリンピックプログラムに若干変更が生じてはいるものの、彼に対する期待が裏切られることはまずなさそうだ。ソチ近郊のクラースナヤ・ポリャーナのラウラ・クロスカントリースキー&バイアスロン・センターでは、2月11日に個人スプリント、19日には団体スプリントが行われる。
注目の選手
今シーズン、スプリントのワールドカップでは、ノルウェイのアンデルス・グロエルセン、カルレ・ハルフヴァルソン、「ツール・ド・スキー」で活躍したアメリカのシメオン・ハミルトン、ロシアのセルゲイ・ウスチュゴフらが、優勝しているが、最も安定した滑りを見せているのは、イタリアのフェデリコ・ペレグリノで、同選手は、四度とも決勝へ進み、二度入賞している。
とはいえ、有力選手はスプリントの大会をいくつか欠場し、ぎりぎりまで手の内を明かさない選手もおり、この種目の結果は、まったく予断を許さない。ソチでは、ノルウェイ勢が有力とみられるが、フィンランドのマルティ・ユルハエもあなどれない。
五輪への道程
ニキータ・クリュコフは、1985年5月30日、モスクワ市に隣接するモスクワ州の都市ジェルジンスキーに生まれた。7歳のときにクロスカントリースキーを始め、それ以来、有名なクロスカントリースキーのコーチで現在はスプリントのロシアチームのヘッドコーチを務めるユーリー・カミンスキーの指導を仰いできた。同コーチは、こう語る。
「数年間、私は、ジェルジンスキーの普通教育学校で体育の教師をしていましたが、それと同時に、コーチの道を歩みはじめ、メソッドに関する文献をいろいろ取り寄せたり、欧州諸国における体育教育理論についての本をたくさん読んだりしていました。私は、ロシアと外国のメソッドを融合させたらどうなるかと思い、校長と一緒に、体育の授業を週に二時間から五時間にする実験を行いました。私は、2~3年生の生徒のグループを担当し、年齢を考慮した授業を開始し、一年後にテストを実施しました。先生たちにお願いして高学年生を私たちの授業へ連れてきてもらうと、なんと、5~6歳も年下の私の教え子のほうが、高学年生よりも持久力その他の点で優っているのでした。その実験グループにいたのが、ニキータ・クリュコフでした」
クリュコフは、2008年のロシア選手権で頭角を現し、翌年のワールドカップで初の入賞を果たす。バンクーバー五輪のときには、期待の星というよりはダークホースだったが、まさに彼が、2010年のそのオリンピックでロシアに一つ目の金メダルをもたらした。決勝で、クリュコフは、同じロシアのアレクサンドル・パンジンスキーとデッドヒートをくりひろげ、わずか数センチメートルの差で金メダルに輝き、二週間後、クリュコフは、スポーツ功労マスターの称号を授けられた。
クリュコフは、こう語る。「14歳のときに、オリンピックチャンピオンになることを夢見るようになりました。そのとき、一緒にクロスカントリースキーをやっていた仲間たちは、そんな私を笑っていましたけれど、私は、自分の夢をずっと温めつづけました」
クロスカントリースキーの人気上昇に貢献
クリュコフは、ロシアのクロスカントリースキーが2000年代の不断の生中継のおかげで人気を集めたバイアスロンの影にすっかり隠れてしまったことを日頃から歯がゆく想っていただけに、2013年に自分が最優秀スポーツ選手に選ばれたときには、自分のこと以上にクロスカントリースキーというスポーツが脚光を浴びたことを喜んだ。
クリュコフは、こう語る。「クロスカントリースキーの選手が他の有名なスポーツ選手を凌いだということがとてもうれしかったです。私やチームの仲間たちが優勝したおかげで、クロスカントリースキーに対する人々の関心が高まり、この競技がもっと注目されるようになった気がします。私たちはこのスポーツをこれからも発展させていきます。オリンピックがその一助となれば幸いです」
クリュコフは、他の多くのチームメイトよりも早く、昨年12月にソチ五輪のロシア代表に選ばれた。今シーズン、彼は、ワールドカップのスプリントで二度、クラシカルで二度、優勝している。イタリアのアシアゴでは、個人で、チェコのノヴェメストでは、マクシム・ヴィレグジャニンと組んだ団体で優勝した。
カミンスキー・コーチは、こう語る。「クリュコフは、改めてその実力を証明しました。準決勝で他の選手との接触があったとして審判が私からみると不当に彼を失格にしたダヴォスでのワールドカップを機に、奮起したのかもしれません」
「ソチまでは私生活などありませんでした」
クリュコフは、敬虔な正教のクリスチャン。数少ないインタビューのなかでそう告白した。彼は、競技のほうが疎かになるとしてあまりメディアには登場せず、私生活についても多くを語らないが、バンクーバー五輪以前に知り合ったユーリャという女性と交際していたらしい。しかし、合宿や遠征ゆえの遠距離恋愛は実らず、二人は別れてしまったという。
国際ヒル(蛭)医療センターに勤務する母親のスヴェトラーナ・フリードリホヴナによれば、クリュコフは、こう語ったそうだ。「ソチまでは私生活などありません。あるのは五輪という目標のみで、それ以外はすべて二の次です。もしもついていれば…」