15歳の氷上のプリンセス誕生

ユリア・リプニツカヤが最年少の冬季五輪金メダリストに

ロシアのフィギュアスケート選手ユリア・リプニツカヤ=ロシア通信撮影

 これまでの記録は、1998年の長野五輪で金メダルを獲得したタラ・リピンスキー(米国)の15歳と255日。ちなみに、リピンスキーは、ソチ五輪を前に「ニューヨーク・タイムズ」誌へのインタビューで、リプニツカヤを高く評価し、彼女はロシアの選手がまだ手にしたことのない女子シングルの金メダルを獲得するかもしれないと語っていた。

 リプニツカヤのチームメイトで、彼女がまだ生まれていないときにシニアの世界選手権で初めて入賞したエフゲニー・プルシェンコは、彼女を「神童」と呼んだ。リレハンメルと長野の両五輪の銀メダリストであるエルビス・ストイコ(カナダ)は、自身のツィッターにこう記した。「ユリア・リプニツカヤは新たなスーパースターとなりうる。もしもフィギュアスケート界に長く留まるならば、彼女は多くの人をインスパスアさせるだろう」

 

初歩

 リプニツカヤは、エカテリンブルグに生まれ、4歳のときにフィギュアスケートを始めたが、よりよいトレーニング環境を求めて、若きコーチのエテリ・トゥトベリーゼの指導を仰ぐべく、2009年にモスクワへ移った。彼女は、もしもトゥトベリーゼのグループに入れてもらえなければスケートをやめて普通の女の子になるつもりでいたという。しかし、コーチは、ユリアは真のチャンピオンに成長すると直感し、彼女を教え子にした。

 2011~2012年のシーズンに、リプニツカヤは、グランプリファイナルと世界選手権をふくむ出場したすべてのジュニアの大会で優勝した。翌年、彼女は、シニアのグランプリシリーズで二度優勝したが、グランプリファイナルは、練習中に顎を切って軽い脳震盪を起こしたため、欠場した。

 

過渡期

 2012年のちょうどその頃、リプニツカヤは、子供から大人への過渡期を迎え、身長と体重が容赦なく増えはじめていた。

 ユリアの最初のコーチであるエレーナ・レフコヴェツは、一年前には彼女はスケートをやめたいとすら思っていたと振り返り、こう述べた。「彼女は、自分に何が起きているのか、手や足をどこへやったらいいか、さっぱり分からず、練習もなかなかうまくいきませんでした」。

 それでも、この華奢な少女は、人知れず、毎日、体重と闘っていた。トゥトベリーゼは、スケート学校で「タンチク(「タンク(戦車)」から)」と呼ばれていたこの教え子の頑張りを称えてやまない。

 「あんなケースは初めてでした。彼女は何も食べてはなりませんでした。体重を減らさなくてはならないとき、彼女は、エネルギー源として粉にした繊維だけを食べていましたが、幸い、頑張り通せました。彼女は、とても芯の強い子です」

 

練習の日々

 リプニツカヤの演技を傍から観ていると、彼女がレベル4の最高難度と加点3を獲得する垂直開脚の驚くべき「キャンドル・スピン」をいとも簡単にこなしているように想えるが、あれは、弛まぬ努力の結晶なのだ。本人は、こう話す。

 「身体を柔らかくするのはたいへんなんですよ。ほんの二、三日でも怠けたら、私はまるで木のようになって、筋肉が言うことを聞いてくれません」。リプニツカヤは、パーフェクト主義者で、優勝しても納得がいかないときがある。たとえば、オリンピックの二回目の演技の後、彼女は、こう語った。「自分のジャンプではなかったし、最後のスピンもいま一つでした。今のところ自分のミスが赦せません。でも、経験を重ねるうちに、欧州選手権で転倒した後にカロリーナ・コストナーが笑みを見せたように、自分を赦せるようになるのかもしれません」

 トゥトベリーゼも、教え子と同じ考えだ。「まだやることがありますね。ユリアは、プログラムの中ほどでいらいらしはじめました。でも、それはあたりまえ、彼女はぜんまい仕掛けの人形ではないのですから。あの滑りをよく振り返って、次までにすべてのミスを修正します」

 次は、2月19~20日のシングル。最初の金メダルに浮かれず、感嘆した周囲の目から逃れ、落ち着いて練習に専念するために、ユリアは、コーチとともに、2月10日、リンクを自由に使えるモスクワへ戻った。

ユリア・リプニツカヤ

 1998年6月5日生まれ。2014年のオリンピック金メダリスト(団体)、2014年の欧州チャンピオン。2012年のジュニア世界チャンピオン、2013年の準チャンピオン。2013~2014年のシーズンのグランプリファイナル銀メダリスト、2012、2014年のロシア選手権銀メダリスト、2012年のロシアジュニア選手権チャンピオン、2011~2012年のシーズンのジュニアグランプリファイナル優勝者。2014年1月の時点で、国際スケート連盟(ISU)のランキング3位。
 ショートプログラム(SP)は、「愛はまごころ(マルク・ミンコフ作曲)」。フリースケーティング(FS)は、「シンドラーのリスト(ジョン・ウィリアムズ作曲)」。リプニツカヤは、自分で選曲をした。何人かの振付家は、シンドラーのリストの振付を辞退したが、アイスダンスのオリンピック銀メダリストであるイリヤ・アヴェルブフは、引き受けた。アヴェルブフは、昼間は多忙なので、リプニツカヤは、毎夜、振付を覚えることになった。
 ソチでのフリースケーティングでは、141,51をマークしたが、これは、キム・ヨナ(150,06)に次いで史上2位の記録。

 

ライバル

 オリンピックのお祭り騒ぎを離れて静かな地元のリンクへ逃れるのは、至極もっともなこと。メダルはいいものだか、ソチでの熾烈な競争は避けて通れないのだから。

 リプニツカヤのライバルは、経験でもメダルでも胸を張れる強豪ぞろい。2012年の世界チャンピオンで五度の欧州チャンピオンであるカロリーナ・コストナー(イタリア)、2010年の冬季五輪銀メダリストで二度の世界チャンピオン(2008、2010年)である浅田真央(日本)。ちなみに、リプニツカヤは、団体戦ではこの両者に勝っている。それから、バンクーバー五輪の金メダリストで二度の世界チャンピオンであるキム・ヨナ(韓国)、そして、2014年の欧州選手権でリプニツカヤとともに表彰台に上っている同じロシアのアデリナ・ソトニコワ。

 しかし、ライバルたちは、今度はリプニツカヤほど観客の声援を受けることはないだろう。ユリアは、こう語る。

 「観客の声援で音楽が聞こえないかもしれないと何度も注意されました。いつでもどこでもウォーミングアップのときにも、と。ですから、心の用意はできていたのですが、あれほどの大歓声になるとは想ってもみませんでした。幸い、それに力をもらいました。大事なのは、準備ができていること、そして、気持ちよく滑れること。氷は、しっかりしてよく滑り、あまり砕けません。私は、これからも自分の滑りができるように努めるだけです。すべての競技が終わって初めてオリンピックチャンピオンの実感が湧いてくるのでしょう」

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